2022年02月09日
続•AI時代とボイスエンライトメント
ブログ ボイスエンライトメント 體整える
【データ至上主義は身体を蔑ろにする】
前回からの続きです。
さて、ここで「身体」というものを私たちがどう理解しているかについて考えてみましょう。
近代的世界観を無自覚に受け入れている私たちは、
「考えている私」が主体であり絶対である。
→脳が唯一、思考を実現する器官である。
→思考に関係ないそれ以外の「身体」は「支配されるもの」
だと考えることにすっかり慣れてしまっています。
だから身体を軽んじるようになります。
これが実は様々な問題を生み出しています。
”人間は全身で思考している”のです。
身体も、実は「思考」しています。
私たちは身体の声にもっともっと耳を傾けていかなければなりませんが、
近代的な世界観が骨身に沁みている私たちにとって、それが最も難しいことになっています。
我々の肉体は決して脳の従属物ではありません。
現代医療においても今はなんでもデータ化、数値化されますが、人の身体には数値化するだけでは理解することができない固有の論理がそれぞれに存在します。
それはその人の人生で培われたものです。
年齢、人種、性別、仕事、趣味嗜好、性格、生活習慣、生活環境、対人関係、そして現在だけでなく過去の行い•状態が絡み合ってるために数値化も平均化もできません。
それを、治療でもなんでも、まずは数値化する、平均化するということで答えを出そうとするから、みんな目の前の身体を忘れてしまうのです。
数値化できないような愁訴を身体はサインとして送っているのに、それをずーっと無視し続けるから大きな病気になるのです。
「感性がある」「感性が優れている」などと言いますが、
そもそも「感性」とは、身体を通して世界や物事を深く感じ取る能力です。
身体の哲学家として有名なメルロー•ポンティは、「原初の世界認識はむしろ身体が行っている」と言っています。
つまり、脳さえあれば大丈夫、と思っている大脳中心主義で生きていると、「身体が世界を認識している」ということがごっそり抜け落ちてしまい、現実感が希薄で心が満たされないようになってきます。
現にそういう人が増えてるから、精神疾患や自殺者が増えているのです。
今の世の中、社会、職場、家庭などに、関わりたくないのに関わらざるを得ない何か嫌な空気感を感じてる人は少なくないはずです。
他人に関心がなく、暖かみがなく、お互いを監視しあうような嫌な空気感です。
それが、絶望的なほど身体を忘れてしまった私たちから作られている空気感とは、なかなか思えないかもしれません。
本当の交流は、身体を通してしかできないものです。
相手の匂い、相手の体温、相手のまとっている空気、、
そういう生身の人間同士の交流、自然との交流がどんどん減ってきています。
マスクをして表情が見えない、呼吸が浅くなる、
過剰な殺菌、消毒で肉体の常在菌まで殺し、
ソーシャルディスタンスという名の人体隔離、
人工香料をまとって本来の自然な匂いを消し、
テクノロジーの活用で肉体労作を極力減らす、
検温が日常の一コマとなり、低体温がよいとされる、
こういうことの積み重ねは、ある意味「身体性を感じないことが常に正しいこと」とされてきている、ともいえます。
人間は、大脳だけで世界を認識しているわけではないという当たり前のことを今一度捉え返してみないと大変なことになっていくかもしれません、、、
まだつづく
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